blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 改めて平山に期待する

 この土日は、本業都合で2日とも休日出勤だった。Jリーグの映像もスポーツニュースでしか見る事ができていないし、昨日の昼間の鳥栖スタジアムの惨劇も結果と、それを嘆く友人たちの悲鳴を読んだだけ。幸い、横浜FCも敗れたと言うし、次の直接対決には万難を排して応援に行く事ができると言う思いのみ。情けない話だが、人生の目的と手段を誤るとこのような事になる。

 ともあれ、試合を観そびれたならば観そびれたなりに、ようやく平山について語ろうかなと。
 以前から私は、平山のストライカとしての潜在能力を、極めて高く評価してきた。その評価は、たとえホームシックになろうとも、オランダ語ができなくとも、何ら揺らぐものではない(シーズンインの際に体重オーバだったのは感心しないが、いくら素質も立場も大違いとは言え、体重オーバな人を批判するのは、自分の事を棚に上げるのは気にしない性格でも何か気恥ずかしい)。
 そして、今回の一連の移籍騒動で、さらに平山のストライカとしての素質は相当なのでははないかと思いを新たにした。何故か。それは決断の早さだ。

 少し平山の歴史を振り返ってみる。03年正月の高校選手権で2年生ながら大型ストライカとして全国に知られるようになった。そして、同年12月のワールドユース代表に抜擢され、1次リーグ突破を決めるエジプト戦の得点や、トーナメント1回戦で韓国、韓国だよ!を叩きのめす坂田へのアシストで、話題になる。直後の04年正月の高校選手権でのボカスカ振りは言うまでもあるまい。そして、直後国見高在学中から、アテネ五輪代表に選ばれる。五輪本大会では今一歩の出来ながら、それはそれで経験を積めたはず。平山が落ち着いて筑波大でプレイしてのは、アテネ後からだったのだろう。そうは言いつつも、04年10月にはアジアユース大会代表に。そして、05年6月のワールドユース。
 このアテネ五輪からワールドユースに至るまで、当時の五輪代表監督山本氏、ユース監督大熊氏のいずれもが、平山を「ストライカ」ではなく「ポストプレイヤ」と遇した事による愚行については、過去散々毒を吐いてきた。
 そして、このワールドユース直後、平山は「このままではダメだ」と決断し、オランダへ飛んだ。重要な事は、平山が03年ワールドユースからオランダ行きを決断するまでの期間は、1度の五輪、2度のワールドユースをはさんだものの、わずか1年半しか経っていない。
 オランダでは、それなりに実績を残したのは、皆さんご存知の通り。事実、奪った得点は、04年の高校選手権で見せてくれたファン・バステンばりの技巧的なものあり、クラウチばりの打点の高さのものあり、と見事なものが多かった。そして、丸1年強経ったこの時点で、「これ以上は精神的に耐えられない」とヘラクレスに三行半(この三行半については、ヘラクレスサイドと平山サイドとどちらが主体的かどうかは議論が分かれようが)。
 何と言う決断力だろうか。何と言う決断の早さだろうか。このような判断の早さ(思い切りのよさ)は、正にストライカに必要なものではないか。あのUAEでのワールドユースから、僅か2年半。この2年半で、ここまで経験を積んだのだ。実績も上げたのだ。いいよ、平山。このまま、常に自分でベストと思う判断をすればよいのだ。今後はピッチ内で、敵陣を破るための判断に専念して欲しいけれど。

 今回の一連の騒動の最中、平山の各種発言を取り上げて「発言が軽い」、「考えが甘い」などとの批判も耳にする。しかし、そのような批判をする輩に限って、「日本人のストライカは自己主張が足りない」などと発言するものなのだ。
 いいのだ。平山は、このまま前向きに戦うべきなのだ。選手の評価と言うのは所詮結果。平山はFC東京でボカスカ得点を上げさせすればよいのだ。そして、私はここ最近の平山の言動の多くは、将来の「ストライカ」になり得る素材としての、従来の私の期待をさらに強めるものと思った次第。

投稿時間 2006年09月24日
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