コーチを務めている少年団チームが、第27回全日本少年サッカー大会の予選に参加した。私はコーチとしてベンチに入るだけでなく、他のチーム同士の試合の副審も行った。言ってみれば、私は齢42にして、初めてこの盛大な大会に参加したわけだ(まさに絵に描いたような完璧な底辺ではあるが)。
この大会は、77年から始まった大会で、前身だった全日本少年団大会を拡大する形態で始まったはず。第1回の優勝は清水FC。評価、批判双方が議論されるいわゆる選抜フットボールクラブの走りでもあり、またサッカーどころ清水の栄光のはしりでもあった(「エスパルスとJリーグ」をお読み下さい)。第1回の清水FCには大榎、長谷川健太がいたはず(同年の堀池はこの時まだ「選抜」されていなかったと言うエピソードを聞いた事があるが、資料がなく断定できない)。大榎ら以降も、この大会を経験した名選手は列記できないほどだ。一方で、「この年代には勝ちにこだわる事になるトーナメント形式の全国大会は必要ない」と言う批判は77年当初から大きかった。しかし、歴史にやり直しが効かない以上は、この少年大会が無かったときの事を試す訳にはいかない。このいかにも日本らしい壮大な全国大会が、少年サッカー人口を増やす一助になった事を考えれば、日本サッカーにとって非常に貴重な大会と考えていいように思える。
さすが、全国大会予選であり、今日の末端の試合にまでプロのカメラマンが来ており、写真を撮っていた(後日これらの写真がチームに送られてきて、購入を勧められる仕組み)。それはそれで子ども達のよい記念になるだろう。しかし、そのような商業主義を取り込むならば、この日配布されたプログラムに、この大会出身の名選手のメッセージを載せて欲しいと思ったのは、私だけだろうか。また、出場選手全名鑑などは作れないだろうか。この壮大な大会に出場する数万人のうち、数十人近くはJリーガ、あるいはそれに準ずるランクまで行くのだろう。さらに数人はA代表に引っ掛かるだろう。そうすれば、子ども達はウン十年後に飲みながら友人に自慢できる。「俺はあの代表選手と同じ大会に出たんだぜ」。高校時代のそのような思い出を、今でも自慢をしている男が言うのだから間違いない。そして、そのウン十年後の自慢話こそ、この大会の最大成果ではなかろうか。
盛夏の全国大会に出場するためには、10試合近く試合を勝ち抜かなければならないが、我がチームはあえなく1回戦で敗退。私の全日本少年サッカー大会経験は1日で終わった。しかし、副審の謝礼金¥300(帰りに先輩の応援に同行した坊主の飲み物代に消えた)以上の経験ができた一日だった。
