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■ ジュニオールとチッタ

 まだ正式決定ではないようだが、ジーコ氏が日本協会に新たなスタッフ雇用を要求しており、日本協会も前向きに検討しているようだ。対戦国の戦力分析を担当する人材との事だが、その名前を聞いてビックリ。何と、あのジュニオールとチッタだと言う。2人ともブラジルサッカー史に残る名手、しかも81年のトヨタカップをジーコ率いるフラメンゴが制した時のチームメートだ。

 ジュニオールは超攻撃左サイドバック。大変な技巧派で、後方から大胆極まりない攻撃参加するのが武器だった。しかもセットプレイを蹴るのも巧く、ジーコが蹴る振りをしたFKを意表をついて決めるのも得意だった。上記81年のトヨタカップも、その前進意欲に驚かされた。あの悲しい82年のイタリア戦、いったん2−2の同点に追いつく事になるファルカンの豪快な得点は、ジュニオールの芸術的なサイドチェンジが基点となった。
 さらにジュニオールが凄いのは、86年大会。4年前の黄金の4人がそれぞれお年を召しフル出場が困難な状況で、ジュニオールは堂々とMFのレギュラで出場、完全な中盤のリーダとして君臨した。紛れもなくブラジルサッカー史に残る名手だ。

 一方のチッタ。一時レッズの指揮を取った事もある男だ。元々技巧派のMFだったのだが、フラメンゴでジーコとチームメートだった時は、押し出されるように7番をつけて引き気味のウィングにポジションを取っていた。上記したトヨタカップでは、独特のキープで勝利に貢献。
 ジーコが代表を引退するときに、代表の10番の後継者として指名したのがチッタだったが、セレソンではそれほどの活躍はできなかった。ともあれ、これまた大変な選手である事には変わりない。

 2人とも凄い選手だったから、一瞬テクニカルコーチでも務めるのかとすら思った。ところが、お仕事は敵チームの分析、いわゆるスカウティングらしい。大体、スカウティングにここまでのブランドを持つ人(つまり高級が必要そうな人)たちが必要なのだろうか。「お兄さんだけではなく、お友達まで面倒を見ろというのか」と揶揄されても仕方の無い人事ではないか。
 もちろん問題はジーコ氏にもあると思うが、日本協会サイドにも疑問が出てくる。そもそも「スカウティング担当を誰がするか」と言う問題は、ジーコ氏と契約する際に決めておく事項のはず。いよいよワールドカップ直前になり、対戦国も決定した時点で、監督が「私が信頼する担当者を新たに雇用して欲しい」と語る事が、準備段階で大変異常な事ではないか。大体、日本協会は直接雇用しているご用達コーチを多数持っている。そのような人たちをスカウティングに利用すればよい。例えば98年大会では予選、本大会を通じて、現サンフレッチェ監督の小野氏がスカウティングで活躍したのは有名な話だ。もし、ジーコ氏が「日本の若いコーチは信頼できない、スカウティングはジュニオールとチッタでなければダメなのだ」と言うのだとしたら、それこそ大問題ではないか。しかも、上述したがこの時期になって。

 と、ここまで書いてきて、そのような要求をする事そのものが、ジーコ氏の本質なのかなと思い始めた。そうだ、1年近くサボっていた「ジーコのひみつ」探求を復活させよう。そろそろ始めないとワールドカップが始まってしまうし。

投稿時間 2006年02月09日
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