いいFKだった。早寝して、眠い目をこすりながら見た甲斐があったと言うものだろう。でもねえ、その後の様々な国内での大騒ぎを見るにつけ複雑な感情を持ってしまうのだよね。まあ、単に私が素直ではないと言う事なのだろうけれど。
ちなみに誤解されたくはないが、私は結構「中村好き」である。中村の事は好きなのだけれども、このFKを決めた直後の報道などに、以下の通り複雑な感情を抱いていると言う事なのだ。
まずこの一撃は「技術レベル」と言う観点では、過去中村が決めてきたFKの歴史の中では、それほど大したものではないと言う事。まず、ユナイテッドの守り方が根本的におかしい。GKのファン・デル・サールは(元々横への反応には課題があるGKだが)、ゴールの半分の守備を壁に託し、残り半分側に位置取りしていた。中村は、同じ姿勢から縦に曲がるボールをゴールの左右に自在に蹴り分ける技術を持っている。したがって、あのような位置取りをしたら、中村がGK不在側のサイドを狙うのは当然。中村にとっては何ら難しい仕事ではなかったはずだ。中村クラスの蹴り手のゴール正面のFKに対しては、GKはゴール中央で待って、機敏な反応をするしかないはずなのだが。
さらにこの一撃のアヤになったのは、中村が蹴ったボールが通過した真下にいた壁の選手がジャンプしなかった事。もちろん、ジャンプしたとしてもボールを捉える事ができたかどうかはわからないし、逆に早過ぎる壁のジャンプは足元へ低いボールが来る場合のリスクも多い。けれども、中村クラスの蹴り手の場合、壁上を巻きながら枠に飛ばす技術に磐石の自信を持っているのだから、壁が飛ぶ事を期待して低いボールは蹴らないのが普通。そういう観点からすれば、やはり壁は飛ぶべきだったと思う。
もちろんこの一撃が、オールドトラフォード、チャンピオンズリーグ、敵地、初戦などの、「場の重要性」と言う意味では重要だった事は一切否定しないけれど。
次に違和感を感じたのは、多くのマスコミが「チャンピオンズリーグ日本人初得点」と言う表現を使っていた事。確かに「チャンピオンズカップ」が「チャンピオンズリーグ」と言うやり方なり名前になって以降は、初めてなのかもしれない。けれども、どう考えても、この2つの大会は完全に連動しているものだし、この大会は1955−56年シーズンに始まった由緒正しい大会と、皆が大事にしているのだから、やはり「日本人初得点」は78−79年シーズンの奥寺に決まっている。しかも、奥寺は準決勝で敵地で3−3とする同点弾を決めているのだ(準決勝、ノッティンガム・フォレスト−1FCケルン戦の初戦での事、奥寺のいるケルンは敵地で3点取っての同点だったので、決勝進出確実と予想されたが、逆にホームで0−1で敗れ決勝進出は失敗してしまったもの)。
別に日本初だろうが、そうでなかろうが、この中村の得点の価値が下がるものではないのだが。
そして、中村がこのように欧州のトップレベルの大会で活躍するのを見る度に、何とも複雑な感情を抱く事にも気がついた。「これだけやれるならば、どうしてドイツでやってくれなかったのだ!」と。
