サウジでの試合は、99年のインタコンチネンタルカップ以来だと思うが、あれは1月だったので気候的には参考になるまい。あの大会は若返りを推進し斬新なメンバ選考を行ったファルカン氏がアジア大会で韓国に敗れて更迭されたのを受けて、加茂氏が就任した最初の大会。オフト氏当時の人気あるベテランを大量に呼び戻して臨んだ大会だ。内容も結果も酷いもので、ナイジェリアとアルゼンチンにチンチンにされた悪夢のような記憶しかない。余談ながら、このアルゼンチン戦は長きに渡り日本に貢献してきた堀池巧の最後の代表試合としても記憶に残る。
アラビア半島での夏場の公式戦と言うと、97年のUAE戦が記憶に新しい。あの試合はたっぷり1週間以上かけて順応準備を行ったので、終盤はむしろ地元のUAEが完全にエネルギー切れしていた。井原の完璧なヘディングシュートをオフサイドポジションにいた小村が蹴りこまなければ(触らなければ)勝っていたのだ!一方、あの試合の順応そのものは巧くいったが、準備及び試合そのものの疲労はそうとう重く後の試合の苦戦の要因と1つとも言われた。井原の幻のゴールにせよ、残った疲労にせよ、まあおかげ様で、あの苦しい予選をたっぷり堪能しジョホールバルの歓喜も体験できたのだから、今となってはそれでよかったのかもしれないが(戦っていた選手は、さぞ大変だっただろうが)。
話がずれたが、何にしても相当な高温多湿の事だろう。実に厳しいタイトルマッチとなる。もっとも、そのような悪環境での試合となると、試合前に無数の愚痴をこぼした前監督、前々監督と異なり、今度のお方は「語っても無駄な事」は絶対に語らない。この厳しい環境を、「いかに鍛える事に使うか」と考えている事だろう。
もっとも、日本はサウジには滅法相性がよい。最初に戦ったのは90年アジア大会で完敗したのだが、これは 暗黒時代の事で3−3−2で戦ったのだからまあ仕方が無い。次があの92年広島でのアジアカップ初優勝の決勝戦。高木の得点で先制した日本に対し、サウジが散発的な逆襲を狙うが、それらをことごとく井原と堀池が難なく捻りつぶす快感は最高だった(な〜んて余裕を持って観てはいられなかったな、当時はアジアで1番になると言う概念が身についていなかったのだから)。翌93年のドーハでは初戦、これは優勝候補同士だけに0−0の引き分けで当然。ラモスのヘッドからの福田の一撃をサウジGKアル・デアイエが超ファインプレイで防いだ場面と、福田の完璧な突破からのセンタリングを高木がニアでつぶれゴール前をボールが横切った場面は惜しかったな(後者の場面、試合後にTV解説していた岡田氏が「どうしてあそこに誰も飛び込まないのだ!俺が試合に出ていたら必ず飛び込む!」と激怒していたのが忘れられない)。続いては、95年秋口にサウジを日本に招待して2試合親善試合を行っているが、ホームと言う事もありいずれも2−1で完勝。スコアは1点差だったが、内容は圧倒していた(ちなみに日本での2連戦後、サウジはソウルに移動し韓国に1−1で引き分けている)。そして、あの00年アジアカップ。あの開幕戦の気持ちよかった事。名波と森島が完璧に機能しサウジ(と当時監督を務めていたミラン・マチャラ氏を)粉々に粉砕し完勝した。さらに決勝での再戦は、疲労と若い選手の経験不足により苦戦したが今度は川口が完璧で1−0で逃げ切った。
そう、オフト氏が就任し、日本がアジアサッカーの強国に列せられるようになって以降、サウジには負けていないのだ。暗黒時代の唯一の負けを含めても、5勝1敗1分けなのだ。さらに言えば、五輪代表も96年のシャーラムで冴え渡った前園の個人技と川口の守りで勝っているし、ユースも今野の代のアジアユース大会で先制されながらも、最後は戦闘能力でねじ伏せている。同じアジアの強国である韓国やイランとは、勝ったり負けたり互角に近い対戦成績なのを考えると、偉い違いである。ただし、1度たりともサウジ国内での試合が無い事は割り引いて考えなければならないかもしれないが。
とすれば、昨日から散々愚痴を垂れている程は、そう悲観したものではないのかもしれない。ここまで圧倒的に勝ち続けていると、勝っている当方よりも、負けている先方が、一層強く未来永劫勝てない気がしてくるものなのだ。随分昔の事になってしまった気がするが、実際に隣国に対してそのような思いを抱いていた人間が言うのだから間違いない。
とつらつら述べてきたら、今日も梅崎たちについては講釈を垂れる時間がなくなりました。また明日以降と言う事で。
(小修正、「海外組さん」に、コメント欄でドーハでの福田の逸機の間違いを指摘されたので、修正しました。ご指摘ありがとうございました。06年9月2日)
