悲しい知らせだ。あの名将が、もういない。
78年ワールドカップで、フィジカルコーチ出身のコウチーニョ氏に率いられ、フィジカル重視のサッカーで悪評タラタラだったブラジル。その印象を一変させたのが、テレ・サンターナ氏だった。80年末から81年正月にかけて、ウルグアイがワールドカップ歴代の優勝国を招いて行った「コパ・デ・オロ(黄金杯)」。エース格のジーコこそ負傷で不在だったが、78年大会からスケールの大きいプレイで注目されていたトニーニョ・セレーゾと、独特のスローテンポのドリブルと正確なインサイドキックのスルーパスが魅力のソクラテスを軸に、美しい攻撃的サッカーを見せてくれたのだ。決勝で地元ウルグアイには敗れたものの、半年前に圧倒的な強さで欧州選手権を制覇したルムメンニゲ率いる西ドイツに4−1で完勝した試合には驚かされた。
大会後、このチームにジーコが加わり、ブラジルはいよいよ世界最強の風情が漂ってくる。82年のスペイン大会前の準備試合でも、トニーニョ・セレーゾ、ソクラテス、ジーコの3人で組む中盤の猛威は相当で、圧倒的な優勝候補と呼ばれた。さらに、スペイン本大会では、当時「ローマ皇帝」と称されていたファルカンが加わった。大会前は4−3−3のフォーメーションを指向していたため、「ファルカンをどのポジションで起用するのか」と騒がれたが、テレ・サンターナ氏は何の事はない、FWを一枚減らし、4−4−2に切替えて、ファルカンとトニーニョ・セレーゾを、今日で言うドイスボランチにする事で問題を解決した(所謂、黄金の4人)。凄いチームだった。それでも優勝できなかった訳だが、あれはロッシとタルデリとカブリニと、もちろんベアルゾット氏と、(ジェンチーレを退場にしなかった)主審を、称えるべきであろう。
その後、氏はブラジル代表監督を退任する。ところが、86年メキシコ予選、調子が今一歩だったブラジル協会は急遽氏を呼び戻す。そして氏は、当時30歳を過ぎていた4年前の「黄金の4人」を中盤に並べ、予選突破。本大会でも、「あれだけ老人を並べてどうするのか」とも思われた。しかも、大会前に調子が整わないトニーニョ・セレーゾが辞退、ジーコも直前の負傷が治らないまま、大会に臨む。登場したチームを見てビックリ、4年前とは全く異なる発想ながら、やはり美しい攻撃サッカーを見せてくれたのだから。アレモンとエウゾと言う運動量豊富で頑健なボランチをコンビで起用、MFでソクラテスと組むのは、4年前に左サイドバックだったジュニオール。大会前から期待されていたカレッカ、ミーレルの2トップも絶好調。W杯初戦で、スペインに完勝したのを皮切りに連勝を重ねる。一方で、ジーコは1次リーグ終盤から、「いざとなった時」に向けてソロソロと試運転。そうこうしながら、あの美しいフランス戦を迎える訳である。交代出場していきなりPKを獲得したジーコだったのだが...あの試合に負けたからケシカランと言う人は誰もいないだろう。
かくして、2度のワールドカップで、あれだけ見事なチームを作ったものの、勝ち切る事はできなかった。
ところが、我々日本の野次馬には嬉しい事に、氏はサンパウロを率いて2回もトヨタカップに登場する。それも、氏が最も信頼している?老トニーニョ・セレーゾを連れて。
まず92年。相手は、かのクライフ氏率いるバルセロナ。序盤は、いかにもクライフ氏が率いた全盛期のバルセロナらしい美しいパスワークに翻弄され、ストイチコフの美しいシュートで先制される。この序盤戦でのFCクライフの充実振りは素晴らしいもので「このままならば何点入るのだろうか」と思わされるほどだった。あのグアルディオーラとバケロの縦の高速パス交換を起点に、次々と選手が前後左右に湧き出して来る美しさ。
ところが、すかさずテレ・サンタナ氏は、FWのミィーレルを左サイドに固定、さらにMFに起用していた若きカフーを右に開かせ、バルセロナの3DFを左右に広げ、センタバックのクーマンを左右に引き出したギャップを狙い逆襲に出る。そして、前半のうちにミィーレルが左サイドを突破し、ライーが決め同点。後半に入り、連戦の疲労が出たか、バルセロナの動きが止まる。そして、ライーが見事なFKを決めついに逆転で押し切った。明らかに疲労から、前半のバルセロナの勢いが継続しなかった事はちょっと残念だったが、非常にレベルの高い試合だった
翌93年、今度は「常連」ミランが相手となる。この試合では、右サイドバックに使われたカフーを前に出すために、主将のCBロナウド(後に清水でプレイ)とボランチのジーニョを右サイドに傾斜させる独特のフォーメーション。カフーが対面のマルディーニを押し込むのに成功した。その上で、相変わらずお元気なトニーニョ・セレーゾ爺さんと若きレオナルド(この時点ではセレソンにはまだ定着していいなかった)の2列目からの強力な押し上げ。点の取り合いとなり、2−2となった終盤、若きジュニーニョ・パウリスタを起用し猛攻。最後の決勝点は、F・バレシのクリアがミィーレルに当たりゴールインする幸運なものだったが、サンパウロの攻める意識が勝利を呼んだ感があった。
いずれにおいても、トップレベルの選手を融通無碍に起用し、美しい攻撃的サッカーを見せてくれたテレ・サンタナ氏。氏が駆使した高弟たちが、ここまで日本で活躍するなどとは、当時思いもしなかった。オフト氏の後任として、日本協会が声をかけた事があったと言うが、あまりの高額要求に断念したとまことしやかな噂が流れた事があった。叶わなかった夢を追う気は毛頭ないけれど、やはりちょっと残念。
あの美しかったサッカーに乾杯。
