引退発表は11月と随分前だったのだが、元アントラーズの増田忠俊の引退について少し述べたい。増田は静岡学園と言う日本最高峰のユース選手育成機関と、鹿島アントラーズと言う日本最高峰のトップ選手成長機関が生んだ、大変素晴らしい選手だった。そして、あの全盛期の負傷さえなければ、日本代表史も異なったものになっていたのではないかと思ったりもする。
97−98年シーズン天皇杯。アントラーズが見事な優勝を遂げるのだが、この大会での増田のプレイは絶妙だった。若い頃からいかにも静岡学園出身らしいスキルフルなタレントだったが、この天皇杯制覇のあたりから、完全に化けた印象があった。活動量が格段に増えたのみならず、前線に長躯飛び出して敵の厳しいプレッシャにさらされても、正確なシュートが打てるようになってきたのだ。結果的に、周りをよく見る事ができて得点力もある万能型の攻撃的MFに成長しつつあったのだ。この天皇杯決勝でのプレイ振りを見る限り、北澤よりも技巧的で得点力があり、森島よりも中盤に引いたときに構成力のある選手に育ちつつあるように思えたのだ。巧い選手はたくさんいる。巧くて組み立てられる選手もそれなりにいる。巧くて組み立てられて動ける選手となると数少なくなってくる。そして、巧くて組み立てられて動けて点を取れる選手は本当に貴重な存在だ。これは半年後のワールドカップ代表チームで定位置を確保する可能性も高いのではないかと、多いに期待をさせてくれた。
事実、当時の代表監督岡田氏も増田を代表候補合宿に選考。初戦の豪州代表戦に増田をスタメン起用するなど、幾度かチャンスを提供していた。岡田氏も相当期待をしていたのだと思う。しかし、明確な活躍を上げる事ができず、増田のワールドカップ出場は夢と消える。ある程度固まったチームに、ワールドカップ直前に新しい選手が、割って入るのは決して簡単ではなかったのかもしれない。
ところが、ワールドカップ直後の8月に、試合中に全治1年以上と言う負傷を負ってしまう。全盛期にこれだけの重傷はあまりに痛かった。復帰後同じポジションに小笠原や本山のような気鋭の若手が育っており、ポジション確保も難しい状態になっていた。そのため、増田はFC東京、ジェフ、レイソル、トリニータとチームを転々。いずこにおいても、そこそこ試合には出場し、存分に存在感を示してはいたが、あの往時の輝きはとうとう戻らなかった。レイソル時代に、一瞬輝きが戻ったかに思えた試合は忘れ難いのだが。
かつての重傷とは別の持病と言われる腰痛が相当ひどいと言う報道もあり、引退はやむを得ないのだろう。しかし、それでも33歳まで現役を継続した経験は大変貴重なもののはず。指導者としての活躍も期待できるだろう。
それにしても、あの負傷さえなければ。
