blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 木澤引退

 ここに来て、J各チームの新陣容が次第に明らかになってきている。正月休みにそれらを眺めていて、好きだったベテラン選手の引退をまた見つけた。ホーリーホックの木澤正徳である。引退後もホーリーホックのコーチを務めるようだが、色々な想いが錯綜する。

 木澤は80年代後半古河に加入。早々に俊足を活かした好撃参加が得意な右サイドバックに起用され活躍した。昨日まで言及していた都並とは対称的な選手で、味方が作ったオープンスペースに対して前進し、パスを受けて前進しクロスを上げるのを得意としていた。ちょうど、越後(古河→ジェフ→ベガルタ)、後藤(古河→ジェフ→横浜FC)らの好パスを受けて、右オープンを疾走する木澤の前進は愉しかった。日本には珍しい脚力を活かした攻撃参加が得意なので、将来を大いに期待させてくれた。しかし残念ながら、前に出る強さに比べ、押し込まれた時の守備、特に1対1の競り合いに課題があり、ジェフでもフル出場は叶わず、いくつかのチームに所属した後、ホーリーホックに落ち着いた。さすがにベテラン、自分の守備エリアをしっかりと押さえて、ここぞと言う時の押上げは巧みで、ホーリーホックの試合を観る愉しみの1つだった。
 木澤は古河一高出身(紛らわしいが、こちらは「こが」だな)。古河一中、古河一高は、70年代から80年代前半にかけて何度も中学、高校サッカーで全国制覇した名門校だ。現在では「茨城県のサッカーと言えば鹿島」と言う事になっているが、20年以上前から「古河は全国的に知られたサッカーの町」、現在でも全国規模の草サッカー大会を開くなど、大変なサッカーどころだ。その古河出身の逸材が、最終的にホーリーホックと言う茨城のJ2クラブでプレイしたのも、意味がある事だろう。
 
 90年代は、日本サッカーが一気に右肩上がりでレベルアップする時期だった。その時期に長期に渡りプレイを継続できた木澤のような選手は、日本サッカー界の貴重な財産。引退後はトップチームのコーチに就任するとの事だが、今後の活躍も期待したい。

投稿時間 2005年01月05日
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