blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 21年ぶりのリバプール

 色々迷ったのだが、最近の多忙さを考慮すると3時半起きは不可能、情報遮断に賭ける事にしたのだが、出社早々同僚が私の顔を見るなり「いやあPKとはねえ、それも3点差を追いついたらしいではないですか」と話しかけてきて、ドボーン、負け組と相成った訳。もはや我が国では、世界のビッグゲームに対する情報遮断は不可能になってきたようだ。総論(着実にサッカー大国に近づいていると言う意味で)では結構な事だが、各論(夜更かしがシンドイ中年にとって)では迷惑な話だな(もっとも、もう少しトシを取れば、夜明けに目覚めやすくなるので大丈夫かもしれんな)。

 まあ、昨日ミランの守備陣の年齢を不安視した訳だが、あの6分間にそれが前面に出たと言う事にしておこう(我ながら、予想の外れっぷりには快感を覚える)。しかし、あの状態から追い付くのだから恐れ入りますな。もう、理屈とか分析とかをグダグダ言うべき試合ではないのだろう。

 さて、決勝でリバプールがPK勝ちと言うと、84年のローマ−リバプールを想い出す。さらにUG氏が早速に取り上げた、デュデクの怪しげな踊りだが、当時のGKグロブラを真似したものらしい。この決勝戦は映像を見る機会はとうとうなかったので、記憶の中でも比較のしようがないのだけれども。ともあれ、グロブラと言うGKはダイヤモンドサッカーで見る限りでは、クロスへの飛び出しが目立っていたが、トヨタカップに来る度に、ここぞと言う場面で失点してしまったので、あまりよい印象がない。
 さらにあの84年のPK戦でリバプールが勝ってしまった事は、トヨタカップでファルカンとトニーニョ・セレーゾを観たかった私としては、結構ガッカリものだった。この2人が中盤の後方を引き締め(トニーニョ・セレーゾはフィールド上のどこにでも登場したが)、コンティ(典型的なイタリアの引き気味のウィンガ、岡野俊一郎が82年イタリアの優勝の最大の貢献者として絶賛)、ディバルトロメイ(主将を務めた運動量と技巧に優れた10番)の4人で組むMFは当時の世界最高峰。この豪華絢爛たる中盤を、国立競技場で愉しみたかったのだが、リバプールが邪魔してくれたのだ。美しいMFによるローマの攻撃を、リバプールの堅実なMF陣が活動量で押さえ込んだ試合だったのだ。
 そう考えると、歴史は繰り返したようにも思えてくる。ピルロがファルカン、ガットゥーゾがトニーニョ・セレーゾ、セードルフがディバルトロメイ、カカがコンティか。
 もっともジェラードは、当時のリバプールのMFのスター、グラハム・スーネスとサミー・リーの2人分くらいは働いたようにも思えるが。と言う事で、ジェラード、バロンドールおめでとう。

投稿時間 2005年05月26日
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