日曜日の午後、本業の整理で少々夜更かしをしたのに加えて朝から子ども達と灼熱の中でボールを追い掛け回していたので、いささか疲労気味だったので、翌日からの本業復帰に向けて昼寝としゃれ込んでいた。すると、何か知らぬが興奮した坊主が騒いでいる。「あれ、何かサッカーをやっていたっけ?」と思って起きてみると、高校野球の決勝戦だった。坊主が興奮していたのは、試合内容にもだが、近所のスーパーマーケットの「優勝校当てクイズ」に応募したチームが決勝に残っていたために、必死に片方に肩入れしていたと言う訳。この坊主の興奮振りを見ていると、totoの不振は「よほど商売が下手だからではないか」と思えてくるが、それは今日の本題ではない。この機会に高校野球について講釈を垂れるのが、今日の本題。
試合はなるほど面白かった。両軍の投手の外に流れる変化球に共に手を焼いてほとんど好機が生まれない。たまの好機も、両軍の守備が実に安定しており、なかなか点が入らない。それにしても、ほとんどの外野への飛球が外野手の正面に飛ぶのだが、外野手は投手と打者の相対関係や投げる球種などできめ細かく位置取りを修正しているとしか思えない。あの灼熱の中、いつ飛んでくるかどうかもわからぬ打球に備えるのだから恐るべき集中力だ。内野手も必ず身体を正面に向けて捕球するから、土のグラウンドのためにバウンドが変わっても必ず球を前に落とせる。素人が見ても、両軍が鍛え抜かれているのがわかる。なるほど、世界一の国の若年層の大会の決勝戦は凄いものだ。と、陰険なサッカーが好きな私には堪えられない重苦しい展開を、堪能させていただいた。
そして、延長も後半じゃなかった終盤に入り、いよいよ再試合の雰囲気が漂いだす。そうなると思い出すのは37年前当時小学校3年生だった時の、三沢商−松山商の死闘だ。「東北勢悲願の優勝旗が白河の関を超えるのではないか」幼な心にも興奮し、太田幸司を必死に応援していた。私は坊主と異なり物欲ではなく、名誉欲?で応援していたのだ。などと、37年前の思い出を、娘と坊主に語るのも愉しい。
とまあ戯言はさておき、延長戦は昔と異なり15回で打ち止めになる事を初めて知った。37年前でさえ、太田幸司の体力や将来を心配する報道があったのだから、さすがに状況は改善されている訳だ。とすれば、「再試合は日を置いてやるのだろうな」と思っていたら、とんでもなかった。翌日のそれも灼熱の13時開始との事。これにはあきれた。もう2チームしか残っていないのだ。中1日くらい、いやプロ野球の真似をして中3日や4日くらい空けたって問題なさそうではないか。中5日空けて週末にしてくれれば、また私も見る事ができる(これは関係ないか)。会場だって、もうここまで甲子園を堪能した彼らなのだから、この試合後に土はシューズケースに詰めてもらって、他の野球場でやればよい。ドーム球場ならば涼しくよさそうだ。選手の滞在費だって、この大会の総予算からすれば微々たるものだ(大会本部から見ても、学校から見ても)。応援団の滞在費は最後自己責任で高校生たちに考えさせればよい。どうしても同級生の応援を現地でしたいならば、親を説得するか、学校が保障して借金させてバイトさせるか卒業後に返させればよい。友の奮闘を見る費用の借金を返すための労働は、若者に対する格好の社会教育になるだろう。
もちろん、これが決勝でなければ、次への進出チームを決める必要があるし、他の待機チームとの兼ね合いもあるので、問題は単純でなかろうが。
と、不思議に思っていたら、尊敬するブロガである「念仏の鉄」様が、より論理的かつ具体的に問題点を指摘して、怒りをぶつけていた。私のような、お茶らけた文章ではないので、心して読んで下さい。「決勝翌日灼熱下再試合」の問題点については、この鉄さん(以下、馴れ馴れしいが「鉄さん」と呼ばせていただきます)の文章が決定版と呼んでも過言ではないと思う。
ただ、この鉄さんの憤りと、多くの識者のコメントを読んで考えた。「このままでは、永久に改善はされないだろう」と。理由は明白だ、この甲子園大会の主催団体は、選手の健康問題を重視する事で何もトクをしないからだ。
鉄さんは、高校サッカーの日程がだいぶマシな事に言及されている。しかし、サッカー界も夏場の大会のインタハイは相変わらず酷い連戦続きだし、冬の選手権の日程も、2,3回戦が連戦になるなど、まだまだ改善の余地がある(一方で逆に45分ハーフの試合にすべきと言う古典的問題もある...この問題の障害はTV中継の時間の問題)。また、ほんの約20年前は、そのような配慮は一切なく4、5連戦の死闘が毎年続いていた。その結果、疲労により大きく体調を崩した選手もいたし、高校サッカーで燃え尽きたかのように消えていく選手も多かった。「それではいけない」と言う事で、少しずつ改善が進んできた訳だ。そして、サッカーの場合「それではいけない」と言う発想が生まれるのは、良好な内容の試合を求める事及び、選手の完成が高校段階ではなくその先にある事への配慮(健康問題を含めた)と言った事項が、「サッカー界全体の発展」のための共通理念として存在するからだと思う。
一方、高校野球はどうだろうか。高校野球の現場で活躍されている方々は、多くの問題意識を持っているだろうが、肝心の主催者である高野連と新聞社は、いかがか。まず高野連だが、「野球界全体の発展」を毛頭考えていないのは明白だし、(組織の趣旨から言っても)考える義理もない。高野連の態度を見ていると、「プロ野球はない方がよいもの」なのかもしれない。彼らからすれば、プロ野球への人材供給など本題ではないからだ。とすれば、将来を嘱望される選手が高校時代に無理をして大成しなくとも、痛くも痒くもない。もう1つの主催者である新聞社は、「日本で最も正論を期待できない法人」の1つであるし、何よりこの大会を主催して「見かけの感動物語」を作る事がビジネスに直結するのだから、「腕も折れよとの闘魂」を絶賛こそすれ、抑制しようなどとの発想は全く期待できない。つまり、高校野球甲子園大会とは「『それではいけない』とは絶対に考えない団体」が主催している大会なのだ。
したがって、このままの悪い状態が、相当な期間継続する事を危惧するものである。
