岩本テルが引退したらしい?もっとも、フリーのプロサッカー選手と言う説もあるが。まあ、残念ながらトップレベルでのプレイを見る事はもうできないのだろう。やはり、この男との別離は1度しっかりとまとめておきたい。
岩本テルを最初に認識したのは、92−93年シーズンの天皇杯、チームはまだフジタ工業と言う名前だったように記憶している。柔らかな技巧と左足の強さには正直驚いた。フジタの攻撃方向から見て右サイドからのCKを、インステップややアウトにかけてゴールから遠ざかるボールを蹴って決定機を演出した場面は、今でも忘れられない。
翌シーズン、JFLに所属したベルマーレは、ニカノール氏に率いられ、ジュビロ、レイソルとJリーグ昇格を争う。高速ドリブルを演じながら、足先でボールの方向を変えて敵を抜き去るベッチーニョ、正確な技術でキチッと前を向いて正確なシュートを決める野口(代表で時間をかけて試したかった)の2人が強力な攻撃陣を形成。
その2人にボールを供給する、もとへ全く無関係に強引に攻めかかるのが、若き意欲的な両サイド。
こなた、右の名良橋は小柄ながら、筋力の強さを活かした俊敏性で敵を抜き去り、強引に縦に飛び出して、踏み込みの鋭いシュートや鋭角のセンタリングを狙う。アントラーズに移籍後はすっかり冷静さをも身に付けた名良橋だが、凄みは無理を承知に前進するベルマーレ時代の方が格段だった。
かたや、左サイドの岩本テル。大柄で懐の深い優雅な技巧で敵を外し、射程の長いクロスや時にロングシュートを狙う。後年、MFにポジションを上げ攻撃に専心する事になる岩本テルだが、野次馬に与える迫力は、後方から姿勢よく前進する前進するベルマーレ時代の方が格段だった。
そして、この2人は両タッチラインをへだてて、ワンツーパスで突破を計るのだ。名良橋が30mを超える逆サイドへの展開を岩本テルに出し全力疾走で前進、岩本テルはそのボールを優雅に左前方にトラップし40mは飛んだのではないかと思わせるロングボールを右サイドに、トップスピードでそれを受けた名良橋はそのボールを、ダイレクトにグラウンダのミドルシュートを狙う。
古くは読売クラブの松木と都並、後年のアントラーズの(移籍後の)名良橋と相馬、最近ではマリノスの隼磨とドゥトラ、サンフレッチェの駒野と服部公太。両サイドにタレントが揃うと、そのチームのサッカーは愉しい。
いや大昔のフォクツとブライトナ、シュルビアとクロル、オルギンとタランティニ、バチストンとボッシ、中昔のベルトルトとブレーメ、ジョルジーニョとブランコ、比較的最近のカフーとロベルト・カルロス、リザラスとテュラム。世界最高レベルの両サイドを思い起こしてみよう。
でも、どんなに荒削りでも、自爆的ミスを複数回見せられても、平塚競技場で見せてくれた2人の両翼展開ほど、興奮する両サイドは記憶にないのだな。都並が負傷し、「ドーハで左サイドを誰に任せようか」と皆が思い悩んだ当時、「岩本テルを連れて行ってしまえ」と暴論を吐くのは愉しかった。
94年シーズンに入り、岩本テルは当然のように代表チームに選ばれる。さらに当時の代表監督ファルカン氏は岩本テルの技巧を評価したのだろう、福田や沢登でなく岩本テルに10番を与えたのだ。
ご承知のように、その後岩本テルは沈む。天狗になってしまったと言う事なのだろう。あの可愛い顔付き、周りがほうっておかなかった。次第に活動量と切れ味が失われていく岩本テルを見るのは、つらいものがあった。
その岩本テルがベガルタで復活する。私のベガルタで。
ベガルタ時代の岩本テルの回想は愉しい。鹿島でアントラーズを破った試合、岩本テルの完璧なクロスをマルコスが中田浩二に競り勝って叩き込んだヘディングシュート。FC東京戦やジェフ戦での信じがたいシュート。
往年の運動量は無くなっていたが、その左足の猛威は変わっていなかった。当時の清水監督の明確なタスク指示により、左サイドをえぐる事に専念した岩本テルのプレイは魅力的だった。往時の輝きとの比較はさておき。
ベガルタを去り、一時グランパスに所属した岩本テル。冒頭に述べたように、怪しげな引退報道が渦巻いている。まあ、それもよい。岩本テルらしいではないか。今後トップレベルで岩本テルのプレイを見る事ができないのは、残念極まりないけれど。
岩本テルは私に十分過ぎるくらい喜びを提供してくれた。もう、それで十分さ。
