blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 天皇杯決勝5選

 実は年末12月30日発売のエルゴラッソに、「過去の天皇杯決勝で印象的な5試合を選んで、その内容を振り返る」と言う文章を書かせていただいた(元日決勝戦当日に配布された号外にも掲載されたはず)。ありがたい企画で、自分自身愉しむ事ができた。
 以下、全文を掲載するが、さすがに5試合をどう選ぶかは迷った。70年代の日本代表を支えた藤島と言う選手を若いファンの方々に紹介するのは、私の責務だな(笑)。釜本引退とMFに下がり輝き始めた木村和司の対比は欠かせない。最初に国立が満員になった日産−読売は、その年が景気よかっただけに入れよう。書きたくはないが、フリューゲルス消滅は書かなければならない。と、4試合まではすぐに決めた。
 残り1試合をどうするか、編集担当の方とも色々打ち合わせをした。第53回の杉山の引退試合、第54回のJSL幻のチーム永大を下す釜本の右45度、第56回永井とドイツに行く前の絶頂の奥寺の輝き、第57回猛威を振るった絶頂時のフジタ、第62回オフト氏の日本での初仕事となるヤマハの初制覇、第64回の戸塚のビューティフルゴール、第69回ヤマハ柳下の痛恨のミス(と第83回の監督としての復讐戦)、第75回のピクシー、平野、小倉の芸術的な攻撃ライン、第82回の朴智星、黒部、松井が見せた若きサンガ(とその後の崩壊)。など、色々迷った。で、結局今年はワールドカップイヤーなので、4年前の思い出をしっかり書くのがバランスがよいかなと思った次第。

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名勝負。ここにあり。
――天皇杯珠玉の5選

■第61回大会 1981(昭和56)年度
1982年1月1日 国立競技場
日本鋼管 2-0 読売クラブ

藤島信雄の笑顔

 読売は日本リーグ1部昇格3年目、与那城ジョージ、加藤久と攻守の大黒柱を揃え、初タイトルを期待されていた。一方、鋼管は、前シーズンに2部落ちしたものの、名将千田監督の下に立て直しに成功、藤島信雄と田中孝司による組織的な守備力を軸に圧倒的強さで1部復帰を決めていた。
 読売が攻勢を取るも、鋼管は守備を固め逆に前半終了間際にPKから先制(このPKは鋼管の決定機を都並敏史が手で防いだもの)。後半も鋼管は、読売の中央突破に拘泥する攻撃をいなし、終盤に絵に描いたような逆襲速攻から川上晃が決めて2点差とし、勝負を決めた。
 藤島信雄は、信じ難いほどの精神力と運動量で70年代の日本代表を支えた名選手。鋼管と言う弱小チームにいたため、タイトルには縁がなかった。この天皇杯決勝当時は30歳を過ぎ代表からも外れていたものの、その能力はこの日も輝いていた。天皇杯を高々と掲げる藤島の笑顔は、長きにわたる天皇杯の歴史の中でも屈指の美しさだった。

■第63回大会 1983(昭和58)年度
1984年1月1日 国立競技場
日産自動車 2-0 ヤンマー

二つの歴史の分岐点

 他チームに先駆け実質的なプロに近い体制を確立し、木村和司を筆頭とするスターを多数抱える日産。70年代に釜本邦茂を軸に栄華を誇ったヤンマー。日産が優勢なものの、釜本監督が選手兼任の本人を投入する終盤までヤンマーが粘れるかが勝負どころ、と予想された。
 天皇杯直前にMFにコンバートされた木村が、清水秀彦のサポートを受け、日産猛攻の軸となる。ヤンマー守備陣は健闘するも、後半柱谷幸一と金田喜稔が得点を重ね勝負あり。ヤンマーが不運だったのは、負傷者の影響で選手釜本をセンターフォワードでなく右ウィングに起用しなければならなかったこと。釜本は中盤の組み立てなど様々な仕事に忙殺され、決定機はつかめなかった。
 大会終了後、釜本は引退を発表し、この試合が最後の公式戦となった。憮然とした釜本と初優勝に歓喜する木村の対照的な表情。この一戦はスーパースターの新旧交代を象徴すると共に、プロフェッショナリズム導入と言う時代の変革を予兆するものとなった。


■第71回大会 1991(平成3)年度
1992年1月1日 国立競技場 観衆約60,000人
日産自動車4-1読売サッカークラブ


初めての満員国立、最高の年への期待

 人気、実力ともにナンバー1を争う両チームの顔合わせ、Jリーグに向ける前景気も好影響を与えたのか、国内チーム同士の試合では史上初めて満員の国立競技場が実現した。
 前半は両軍とも井原正巳、加藤久を軸に守備を固め無得点。
しかし、後半試合は一気に動く。日産がエバートンの粘り強いシュートで先制した直後に、読売の名ボランチ、ペリクレスが高田主審への異議で退場。それでも、読売は交代とポジションチェンジを駆使して反撃、後半終了間際に北澤豪とラモスの組み立てから、武田修宏が決め追いつく。延長戦では、無理攻めでバランスを崩した読売は、カズをサイドバックに使うなど最後まで抵抗するが、木村和司に強烈なシュートを決められ力尽きる。その後、日産は新人の山田隆裕、エースのレナトが加点し、大差の優勝。
 新年早々、最高の雰囲気の中の好試合、よい年になる予感がした。予感は的中する、この年の10月、我が代表は初めてアジア制覇に成功するのだから。

■第78回大会 1998(平成10)年度
1999年1月1日 国立競技場 観衆50,304人
横浜フリューゲルス 2-1 清水エスパルス

日本サッカー史上最悪の人災

 天皇杯直前の98年10月、横浜フリューゲルスの親会社が「他クラブへ出資し、フリューゲルスを消滅させる。Jリーグも承認済み」と発表した。横浜Fの現場やサポーターの存続努力にもかかわらず、消滅決定は覆らなかった。その逆境下、横浜Fは天皇杯を戦い抜き、決勝進出を果たした。
 薩川了洋の出場停止の影響か、前半の横浜Fの出来は散々で清水に翻弄される。GK楢崎正剛の負傷直後、プレーを切らずにボールを奪われ、そこから失点するという無様なプレーで先制を許す。
しかし、失点以降は我慢を重ね、山口素弘の好技を起点に同点に追いつく。そして、後半、セサル・サンパイオと永井秀樹の巧妙な組み立てから、吉田孝行が才気あふれる決勝ゴール。悪い時間帯を我慢し最後に勝負を決める強いチームならではの見事なサッカーだった。
 天皇杯制覇により、消滅の悲劇は一層日本中のサッカー人の心に残った。「このような悲劇は二度と起こしてはならない」と強烈な教訓を残し、横浜フリューゲルスは消えていった。

■第81回大会 2001(平成13)年度
2002年1月1日 国立競技場 観衆約46,728人
清水エスパルス 3-2 セレッソ大阪

6カ月後への息吹

 森島寛晃とアレックス(三都主アレサンドロ)を軸に、両チームが美しい攻め合いを演じた決勝戦だった。
 アレックスの先制点は、ドリブル突破後に静止し周囲を見回しチップキックで決めた芸術的なもの。さらに、単独突破から見事なセンタリングをバロンに合わせ、延長Vゴールを演出した。
 しかし、勝者のアレックス以上に印象的だったのは、敗者の森島だった。豊富な活動量でボールを拾うや、敵陣に向かう高速ドリブルと鋭く正確なパスで常に猛攻の起点となる。C大阪の2点はいずれも森島が絡んでのもの。このシーズンの森島は、前シーズンの過労から本調子に遠く、C大阪のJ2陥落を阻止できなかった。しかし、この天皇杯で復調した森島を見て、勝負所で最も頼りになるのはこの男だと、誰もが思ったのではないか。
 森島は我々の期待を裏切らない。半年後のW杯日韓大会・チュニジア戦、森島は見事な先制点を決め、1億2千万国民に最高の歓喜を提供することになる。

投稿時間 2006年01月04日
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