blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 出場枠を哲学する

 昨日の歓喜のエントリーに対して、複数の方から「アジアの出場枠4.5が広すぎて感激が薄かった」と言う趣旨のコメントが寄せられた。まあ、ワールドカップ出場を決めながらなおレギュレーションに不平を言うなどと言うのも、高等な愉しみ方の1つな事は間違いない。切り口を変えると、川淵会長やジーコ氏に文句を垂れるのも愉しいが、胴元のFIFAに因縁をつけるのもまた上質の酒の肴、と言う事になるか。
 確かに4.5枠は多すぎる感は、枠決定直後から感じられた。もし、これが8年前のように3.5あるいはそれ以下だとしたら、8月17日のイラン戦はどんなにか興奮する試合になっていた事だろう。さらに、その日ソウルと横浜でそれぞれホームのチームが勝ち切れなければ、その後のプレイオフは最高のエンタティンメントとなる事だろう(その際、「3.5」ではなく「3」だとしたら...)。そう考えると、広過ぎる枠が残念に思えるのは確かだ。
 ただし「枠が広過ぎたからジーコ氏は幸運だった」と言う論調には賛成しかねる。この2次予選最終前から、レギュレーションは決まっていた。予選と言うのは突破さえすればよいのだから、相応の準備をして4チーム中2位以上の成績を収めた事は評価されるべきだろう。ただし、我々の目標は本大会ベスト8であり、それに対してジーコ氏が適任かどうかは別な議論だが、それを語り始めると大変な分量になるので、しばらくお待ち下さい。
 もっともこの「枠問題」は怪しげなFIFAの政治決着によるもの。よく「アジア枠が広いのは、金満の日本を出場させるため」と自虐的におっしゃる方がいるが、今の日本であれば、妥当な監督を選考すればアジアのトップ2なり3に入るのはそれほど難しい事ではない。むしろこの「枠の広さ」は中国対応だったのだと思うのだが、さすがにFIFAも中国での金儲けのためとは言え、アジアの枠を9までは広げる事はできなかったと言う事か。
 ともあれ、現状の「4.5」の妥当性は議論されてよいだろう。南アフリカ大会ではどうすべきか。少なくともアジア人である我々から自らの枠を減らす提案などはするのは野暮過ぎる。と言う事で私のアイデアは大陸を越えたプレイオフ枠の拡大。例えば、欧州は9国は無条件出場で、9国はプレイオフに回る(無条件出場国数とプレイオフ国数を同じにすれば、リーグ戦の1位、2位をそれぞれ当てられる、これを9+9と表記する)。アフリカは3+3、北中米は2+2、アジア(豪州付)は3+3、オセアニア(豪州無し)は0+1、南米は4+2。欧州、アフリカ、北中米、アジアはそれぞれグループリーグ方式、オセアニアと南米は1グループ方式を前提としている。このやり方だと、各大陸予選で出場が決まるのが21国、プレイオフに回るのが20国となる。すると地元の南アフリカを加えて、ちょうど32国。ちょっと北中米から文句がでそうだから調整が必要だけれども、いかがでしょうか。

投稿時間 2005年06月09日
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