blog武藤文雄のサッカー講釈

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■ 40年目の歓喜

 さすがに今日は、こちらでありましょう。おめどとう、ヴァンフォーレ甲府、あるいは甲府クラブ。この日本屈指の歴史ある偉大なクラブ関係者の全てに、最大限のお祝いと羨望の意をお伝えしたい。本当にうらやましい。

 ヴァンフォーレの前身である甲府クラブの創設は1965年、設立40年目の節目の歓喜と言う事になる。(全くの偶然だが、ヴァンフォーレと入れ替わるように2部に落ちる)日本のクラブサッカーの老舗であるヴェルディの創設が「1969」年だから、歴史はヴェルディよりも古い。日本リーグ(JSL)の2部ができるのは1972年だが、その創設時からのメンバ。73年には2位に入り1部との入替戦にも出場し、日本鋼管(後のNKK)に敗れている。さらに遡れば、JSL2部ができる前の、69年、70年にも全国社会人選手権で上位に入り(当時1部しかなかった)JSLとの入替戦に出場、70年は73年と同じ日本鋼管、そして69年には、何とレイソルの前身である日立に負けている(つまり、今日の勝利は36年目の復讐劇と言う事になるな)。
 ただし、甲府クラブには、読売クラブのように確固としたスポンサ企業はなかったので(80年代後半まで一篤志家の出資で経営が成立していたはず)、クラブの維持運営の苦労は並のものではなかった。それでも常にトップリーグに所属していのだから、(韮崎を含む)甲府地域の「サッカー力」が並々ならぬものだった事がわかる。そして、その「サッカー力」ある地域は、我々に「中田英寿」と言う存在を提供してくれた訳だ。
 そのヴァンフォーレ甲府が経営破綻に近い状態になったのは、つい最近の事だった。しかし、サポータを含むヴァンフォーレ関係者は、必死の努力でその危機を乗り切った。あの経営危機以降にヴァンフォーレが獲得したスポンサの数を見るだけでも、その努力が理解できようと言うもの。

 来シーズン、我々はかつてない熱狂的な「甲府」を見ることになるのだろう。J1で「川中島決戦」を見る事ができるとは。
 イベント屋さんに提案。来年ワールドカップ後に、ヴァンフォーレ対ボルトンを是非小瀬にて。
 さらに無責任な提案を野次馬から山梨の皆様へ。皆様にとって「小瀬」は聖地であろう。でも、でも、できれば、この勢いに乗って、もっと駅から近い場所に、見やすい専用競技場を作る訳にはいかないでしょうか。その名も「Hide Stadium」。

 この日は偉大な歴史が絶たれた日でもあった。72年に全国リーグのの2部リーグが設立されて以来、常に所属していた唯一のクラブであるヴァンフォーレ甲府(甲府クラブ)が、ついにその場から去るという意味で。
 
補足
 10月30日のエントリにおいて、ヴァンフォーレの歴史について、誤って、「前身の甲府クラブが1度も日本リーグ1部との入替戦に出場していない」と言う記載をしてしまいました。コメント欄で「甲府サポ 」殿から、指摘があり気がついたものです。当該エントリも修正させていただきました。
 それにしても「甲府サポ」様、おめでとうございます...悔しい...

投稿時間 2005年12月10日
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